お城関係のブログ

私が訪れたお城について簡単に紹介します。

佐和山城跡–彦根城に取って代わられたお城

今日は、彦根市にある佐和山城跡について説明します。仏像とは関係ないですが,お許しください(こういうことが繰り返されるようならば,「仏像関係のブログ」というタイトルを変更しなければなあと思います)。

 

彦根市といえば彦根城が有名ですが、その近くにはかつて佐和山城というお城がありました。

 

以下、歴史を簡単に説明します。

 

お城の創建は鎌倉時代らしいですが、この辺りは思い切って省略します。

 

時代は豊臣政権の頃に飛びます。

 

豊臣政権の時代になると、堀→堀尾という代を経て、石田三成が入城します。

 

このお城は、近江統治の要衝、そして東国の徳川家康の監視の役割を担うものとして重視され、5層4階の立派な天守も建てられました。

 

関ヶ原の戦いの2日後、東軍がこのお城に攻め込みます。石田三成のお城を東軍が見過ごすはずがないということです。

 

この時お城にいたのは三成本人ではなく石田家の他の人間でした。いずれにせよ、佐和山城はあっけなく東軍の手に落ちてしまいます。

 

この戦いでは、特に天守が焼失しませんでした。そこで、家康はこのお城を重臣井伊直政に譲ります。

 

しかし、その後になって、やはり元西軍のお城をそのまま使い続けることは問題であると考えた井伊家は、新たに彦根城を築き、そちらに拠点を移すこととしました。

 

佐和山城天守はその時徹底的に破壊され、今では礎石すらもあまり出土しないほど何もない場所となりました。

 

この際、佐和山城の石垣の一部は彦根城に移されています。上記経緯からしたら転用すべきではなかったのかもしれませんが、彦根城は、今なお大阪に残る豊臣家の監視のために急ピッチで作られたため、転用せざるを得なかったのです。

 

以上が歴史でした。

 

次に見所です。

 

正直にいうと、見どころという見どころはありません(失礼か)。頂上からの景色が良いと言われますが、ちょっと木々が生い茂っているのでよく見えないのが正直なところです。

 

佐和山は現在では麓の龍潭寺の私有地であるらしく、お寺の境内から登ることとなります(無料です)。

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佐和山城跡の入り口。お寺の入り口を兼ねているのでちょっとわかりにくい。



道は完全に山道なので、靴などには気をつけてください。また、季節によっては蜂がいるので、それも注意してください。

 

天守趾までの所要時間は、20-30くらいだと思われます。道は結構険しいので、良いトレーニングになります。

 

見どころはないと言ってしまいましたが、行ったという事実自体に価値があるのかもしれません。

 

彦根城観光のついでに、彦根城の前身とも言えるここ佐和山城跡を訪れても良いでしょう。

 

それでは。