お城関係のブログ

私が訪れたお城について簡単に紹介します。

尼崎城−最近完成した天守

今日は、兵庫県尼崎市にある尼崎城について説明します。

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尼崎城(復元)



まずは概要を簡単に。

・復元天守で、平成31年に営業を開始しました。中に入ればわかりますが、ピカピカです。

・当時の服を着て写真を撮るスペースがあるなど、完全にレジャー施設のようになっています。ただし、お城の説明書なども少し存在します。

・入城は大人で500円です。

 

次に尼崎城の歴史を説明します。

 

関ヶ原の戦い豊臣氏を滅ぼした徳川氏は、大坂城を築いて西国の要とし、その大坂城の防備のために周囲にいくつもお城を築かせ、譜代大名を住まわせました。

その一つが尼崎城で、尼崎藩初代藩主は戸田氏鉄という人です。

 

尼崎城は、周囲のお城の中でも特に大阪に近いということで(12キロほどしか離れていない)、南にある岸和田城とともに特に防備の要として重視したそうです。

 

天守は4層4階です。同じく西国の防備のために作られた明石城などに天守が築かれなかったことなどからすれば、徳川氏がいかにここを重視したかがわかるでしょう。

 

尼崎藩は、当初は西宮、神戸、兵庫そして須磨のあたりまで領地を有していました。ざっくり言えば、今の神戸市あたりまでの港町を有していたということです。これらの地域は、灘の酒などに代表されるように酒造が盛んなほか、兵庫にはかつての大輪田泊があったように港町として大いに栄えていました。

つまり尼崎藩は、当初かなり経済的に裕福だったのです。

 

しかしその後、1769年にこれらの領土が天領として召し上げられてしまい、大きな痛手をおいました。

 

なぜ召し上げられたのか、調べましたが理由はわかりませんでした。

幕府との関係が悪化したというような話は特になかったので、この辺りが酒造や水運でいよいよ繁栄したために、幕府が直接管理したくなったというふうに予想します。

 

そして幕末を迎え、廃城令によって天守が解体されました。

 

現在建っているのは平成30年頃のもので、ピカピカです。なお、当時の天守があった場所はすでに小学校などが建てられているため、現在の天守は、当時よりもすこに西に建てられています。

 

次に見所ですが、尼崎城を舞台としたアニメ風の作品が大画面で放映されているコーナーがあり、迫力がありますので、これがおすすめです。

 

内容は、簡単に言うと近松門左衛門尼崎城について紹介するというものです。

 

なぜ近松門左衛門が?ということですが、彼は一時期尼崎にあるお寺に晩年よく滞在していたのです。

 

ということで、今日は尼崎城について説明しました。

 

皆さんも、ぜひ訪れてみてください。

 

それでは。